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個展などで食器を展示していると「どういう風に使ったら良いのか?」と質問されることが多々ある。食器に限らずどういう風に使おうと使う人が好きに使えば良いのだが。例えば、オランダのデルフト陶器に蓋を合わせて作りお茶の水差しに使った茶人の姿を見た事がる。このように自分の好きに使えば良いのだが、中々発想が浮かばない方もおられる。そこで今回は、「食器使い」のワークショップをして見た。やはり手本がないと難しいので、僭越ながら自分が手本をお見せして、参加した方々に盛り付けをしてもらった。器の上手な使い方は余白を作ることが大事。又、既成概念を外し使う器を選ぶ。やはりここにデザイン感覚が必要になる。最初から上手く行くわけではないが、料理本で綺麗な盛り付けをみると良い。和食、洋食など参考になるものが多い。参加された方々と私の盛り付け例(右端の隅っこのものが私の盛り付け、すごく見にくいが)

9月22日に自宅、工房を開放してオープンスタジオを始める。最初の画像は和室を使ったわ食器の展示。折敷(おしき=塗りの足無し膳)を使い和室での食事を。

リビングをミニギャラリーとして展示

細工場(益子では作業場をこういう呼び方をする)でのろくろや細工に使う道具の一部を展示。右側からろくろで整形する時に使う各種「コテ」コテは益子でも各自違ったものを使っている。色々なところから技術が入ってきたので習う窯元や作家の所で違う形状のものを使っている。また、作り手が使いやすいように各々工夫するので千差万別。

9月22日〜10月14日まで自宅、工房解放してのオープンスタジオを行います。作品の制作過程やワークショップとして食器使いの提案を行います。ワークショップは事前申し込みを二日前までにご連絡下さい。参加費¥7,000。実際にこちらの用意した器で料理の盛り付けをいたします。盛り付けが終了後は、みなさんと会食。参加費には¥4,400相当のお皿が付きます。お土産としてお持ち帰り下さい。基本2名様からの参加となりますが、一名様のみの場合は応談

工房見学や、ミニギャラリーの見学は無料です。

会期:9/22〜10/14日 (木曜日休み)

時間:13:00〜17:00 尚、ワークショップのみ11:00より

連絡先:TEL:0258-72-1825 和田直工房

昨日7月14日宇都宮ギャラリー壷琳「和田直作陶展」無事会期を終了できました。初日から最終日までお越しいただだいた皆様には、厚く御礼申し上げます。今後も一層精進して良い作品がご高覧いただける様にしてまいりたいと思っております。ありがとうございました。

宇都宮「ギャラリー壷琳」にて個展。会期は7/14まで土日は午後から在廊します。

11:00〜18:00、水木休廊、今週土日及び来週月火は在廊します。

平日でもあらかじめ連絡頂ければ在廊いたします。Line、facebook messenger、Instagramダイレクトメッセージにて対応。またはギャラリー壷琳までご連絡下さい。

2024年6月29日(土)〜7月14日(日)11:00〜18:00  水、木休廊 土日作家在廊(事前にご連絡頂ければ土日以外でも在廊してお待ちしています。)連絡先:0285-63-1825 又はLINEにて又は画廊にご連絡を。写真の彫紋器シリーズや花器、食器など100点程展示します。どうぞご高覧の程。


足場も完成し屋根裏の養生(汚れない様にシートなどを張ること)も終わりいよいよ痛んだ茅の解体が始まる。痛んだ茅は屋根から降ろされ軒から葺き直す。軒の葺き替えから始まり次第に屋根の上に向かって葺き上げていく。痛んだ茅を屋根からおろしては葺き直していく作業だ。職人さんたちは腰にたくさんの紐をぶら下げ外した茅を束ねては足場にいる作業員がまとめて足場の下に降ろしていく。

防水シートをめくりながら茅の解体が始まる。

痛みの激しいところでは穴が開いていたり茅の原型を留めていないところやキノコが生えてしまっている。このキノコは何故か南側にしか生えないという。工程は始まったばかり(1月27日現在)

栃木県益子町にある濱田庄司記念益子参考館の四号館(上ん台)の屋根の修復が一月から始まった。昨年は私邸部分の長屋門の修復を終え、今年から陶芸家故濱田庄司の蒐集品(世界の工藝品)を展示する為に濱田庄司が生前から計画していた「参考館」構想を実現した施設の一部最大の建築物である四号館の茅葺屋根の修復。この参考館構想は、後進の工藝家や一般の見学者に自分の目で集めた蒐集品から色々なことを学んで欲しいとの思いからだそうである。「参考館」という名前も若き日に京都の市立陶磁器試験場で技官としてまた、付属伝習所の教官として後進の伝習生を教えていた時に市立陶磁器試験場の施設として「参考館」という施設が有ったそうでこの辺りから付けられた名前かもしれない。

この四号館(上ん台と濱田庄司が名ずけている)の名前も濱田邸の一番上にある建物なので上ん台(濱田は自書では上台と記述しているがうえんだいと呼んでいたので上ん台と記述した)近隣の豪農の屋敷を昭和17年に移築したものだ。当初は正確な話ではないが、著作の記述から読み取ると濱田自身がこの建物を気に入ったようだ。しかし、競争相手が現れて、どちらが手に入れるかという話になり最終的に濱田の手に入りそうになったときに、倉敷絹織(現在のクラレ)の設立者で濱田の後援者でも有った大原孫三郎が「自分がそちらに立ち寄る時に泊まるのに必要になるので建てておきなさい」といわれて移築する手筈になっていた。が、大原が急死したため一時は頓挫しそうになったが文藝春秋社からの作品制作依頼があり無事に移築できたという。濱田の書き残した書籍によると建坪が110坪あり移築時には葺き屋の厚さが四尺だったとか。


今年1月17日から足場組が始まり修復中も内部を見学できるようになっている。

※濱田庄司著 「窯に任せて」より一部引用

昭和45年ごろの上ん台の西端より細工場をのぞむ

2019年当時の上ん台

2021年屋根と室内を守るためにシートを掛けられ修復を待つ。

足場が組み上がる。

屋根裏にもシートを貼り見学者や建物内部を守る。

正面の破風が経年劣化で下がってしまっている。


撮影協力:(株)茅葺き屋根保存協会