濱田庄司記念益子参考館四号館茅葺屋根修復記1

栃木県益子町にある濱田庄司記念益子参考館の四号館(上ん台)の屋根の修復が一月から始まった。昨年は私邸部分の長屋門の修復を終え、今年から陶芸家故濱田庄司の蒐集品(世界の工藝品)を展示する為に濱田庄司が生前から計画していた「参考館」構想を実現した施設の一部最大の建築物である四号館の茅葺屋根の修復。この参考館構想は、後進の工藝家や一般の見学者に自分の目で集めた蒐集品から色々なことを学んで欲しいとの思いからだそうである。「参考館」という名前も若き日に京都の市立陶磁器試験場で技官としてまた、付属伝習所の教官として後進の伝習生を教えていた時に市立陶磁器試験場の施設として「参考館」という施設が有ったそうでこの辺りから付けられた名前かもしれない。

この四号館(上ん台と濱田庄司が名ずけている)の名前も濱田邸の一番上にある建物なので上ん台(濱田は自書では上台と記述しているがうえんだいと呼んでいたので上ん台と記述した)近隣の豪農の屋敷を昭和17年に移築したものだ。当初は正確な話ではないが、著作の記述から読み取ると濱田自身がこの建物を気に入ったようだ。しかし、競争相手が現れて、どちらが手に入れるかという話になり最終的に濱田の手に入りそうになったときに、倉敷絹織(現在のクラレ)の設立者で濱田の後援者でも有った大原孫三郎が「自分がそちらに立ち寄る時に泊まるのに必要になるので建てておきなさい」といわれて移築する手筈になっていた。が、大原が急死したため一時は頓挫しそうになったが文藝春秋社からの作品制作依頼があり無事に移築できたという。濱田の書き残した書籍によると建坪が110坪あり移築時には葺き屋の厚さが四尺だったとか。


今年1月17日から足場組が始まり修復中も内部を見学できるようになっている。

※濱田庄司著 「窯に任せて」より一部引用

昭和45年ごろの上ん台の西端より細工場をのぞむ

2019年当時の上ん台

2021年屋根と室内を守るためにシートを掛けられ修復を待つ。

足場が組み上がる。

屋根裏にもシートを貼り見学者や建物内部を守る。

正面の破風が経年劣化で下がってしまっている。


撮影協力:(株)茅葺き屋根保存協会

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