古いものを受け継ぐ
古いものを受け継ぐ。最近の風潮として「断捨離」とか言いものを持たないとかブランドものを買うためブランドものを売るという。そういったことは個人の自由だからとやかくいう問題ではないのかもしれないが、自分としてはそう出来ない。物の価値だけではなくそのものにまつわるかつての所有者の思いなどを考えてしまう。祖父母の代から受け継いだものにはやはり人の思いや自分の思い出が宿っているように思えてならない。自分がものつくりだからなおさら物に対する思いが強いのかもしれない。作った工人や買い求めた者の思いなどなど。
今でもそういった物を日常の生活で使っている。塗りの八寸の平膳や産地不明の陶磁器、おわん、蕎麦猪口など時代も違えば来歴もわからず。
本もそうである。父親が大学時代に使っていた「参考物理學」という本を形見として書棚に残してある。他にも大学時代の講義ノートなどがあったのだが、いつのまいにかなくなっていた。母親が片付けてしまったのだろう。母はその手の物に興味がなかったから整理してしまったのかもしれない。残念だった。「参考物理學」は初版が昭和17年で再版が19年と奥付にあった。酸性紙のため触ると崩れそうなので慎重に扱っている。又、母方の祖父の著書が何冊かあったのだが、戦後に出版されてものも全て廃刊になっており手元にあったのは「高等数学入門」という初版がやはり昭和17年のものだけだった。やはりこれも酸性紙のため崩れそうでハードカバーもついているので勤めていた大学の博物館に寄贈した。
器も本も鬼籍に入った人たちの思いが詰まっている。この人たちが当時どんな思いで本や器などを手に入れたのだろうか。そのような思いを持ちなが特に器はどは日常で使っている。私にとって「断捨離」は無用かと。
産地不明の蓋付飯碗
やはり産地不明のお椀。祖母の但し書きがあり昭和四十年ごろ入手したらしい。
これまた産地不明の染付の小鉢5個揃いだが高台の作りもバラバラ。釉も縁切れしている。絵付けも素朴でなんとも愛らしい。
蕎麦猪口。おそらく有田あたりのものか。高台の作りを見ると江戸期のものらしいが、真偽のほどは…。これも5個揃い。やはり絵付けがおおらかというかあまり細かいところを気にしておらず同じ文様ながら絵の大きさなどがバラバラでこれまた愛らしい。向付に愛用。勿論蕎麦猪口としても日常使っている。
八寸の平膳。共箱と10枚セット。だいぶ傷んでいて塗りが剥げてしまっているものも。今のところ塗りの剥げていないものを刺身を盛ったり、ツマミをのせて楽しんでいる。これも来歴不詳。
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