小さな美術館の偉大なコレクションと存続の危機 2
先日UPした「小さな美術館の偉大なコレクションと存続の危機」の追記。UPした後、濱田庄司の自著から見落とした記述が見つかった。濱田庄司の孫でもある関西学院大学で教鞭を取られている濱田琢司氏のアドバイスをいただき濱田庄司の著書「無尽蔵」の中の「海外民藝への旅」に昭和40年に濱田庄司の三男篤哉との旅の話の中でカイロで再び「コプト美術館」への訪問の記載と馴染みの骨董店のことが書かれていた。「二年前知り合った二、三の骨董店では、コプトの古裂を…」との記述があった。前回書いた文章にもある様にこの項にも大正13年と思われる最初の「コプト美術館訪問」についても書かれといる。何度も「無尽蔵」や「窯にまかせて」を読み返したつもりだったが素人の悲しさか見落としていた。この頃の話と思われる逸話は益子の染織家の日下田正氏(染織家であり女子美の元学長の故柳悦孝の弟子)からも聞いていたのだが。やはり購入したとの記述はなかったが、この時期にも日下田氏の話からも購入されたとも推察できるのではと。繰り返しになってしまうが、前回にも色々アドバイスを受けたりや問い合わせをした専門家である益子陶芸美術館学芸員の方と栃木県立美術館の元学芸員の方なども推測を前提に戦前から何回にわたってコプト織りの購入をした可能性を指摘されていた。実際のところ何度も洋行するたびにカイロに寄った記述もあるので。しかし、確定的なことはわからないのが現実だ。
コプト織りばかり書いたが、他の所蔵品も一部紹介しねければ。
中国の彩色土器から日本の縄文土器、土偶、洋の東西を問わず時代も広く集められた所蔵品の一部。これらの所蔵品を後世に残すのは皆様のごお力添えを是非。
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