小さな美術館の偉大なコレクションと存続の危機

栃木県益子町に益子参考館という名の小さな美術館がある。益子の焼き物の父ともいえる故濱田庄司の邸宅の一部を解放して作られた美術館である。本人の作品と資料が展示されるのが普通だが、ここはそうではなく、民藝運動の実践者として活動した濱田庄司が自分の目で集めたコレクションを展示している。なぜ、「参考館」という名前かと言えば濱田の意思として後進の工藝家のため自分が学んだコレクションから学んで欲しいとの気持ちからだという。

1977年に開館して以来素晴らしい世界の工藝品を展示して来た。往時の様子は「濱田庄司追悼展 」(1978年新宿小田急百貨店開催)の図録 写真家杉村恒撮影に開館当時の姿が見られる。

何故、偉大なコレクションというかは陶芸家でありながら世界の工藝に対す知識とその収集品の幅広いことだ。陶芸家が収集するとしたら、まず中国陶磁、朝鮮陶磁、日本の古陶だろう。もちろんのこと濱田のコレクションにも当然あるが、陶、木工、金工、布、ガラス、各地の土器、土偶、絵画(朝鮮民画や日本の大津絵など)特に(他のものも当然!)貴重なものの一つとして「コプト織り」が所蔵されている。「コプト織り」はエジプトのコプト教徒(初期キリスト教の一派)が3〜13世紀(厳密にいうと3〜8世紀までをルーブル美術館では規定しているという)に織られたつつれ織りでキリスト教のシンボルや聖人の画像が織り込まれている。この様な貴重な布がここには収蔵されている。

ヨーロッパでは早くから「コプト織り」研究が進んでいるそうだが、女子美美術館によると2009年に旧鐘紡の「コプト織りコレクション」を3600点購入してから研究が始まったと。東博(国立博物館)でもコレクションが集まりだしているとのこと。国内では本格的な研究書が未だ無いという。

あえて「参考館所蔵」の中で「コプト織り」を取り上げたのは濱田庄司を書いた色々な書籍、図録の年譜によるとリーチーポッタリーの設立に携わりその帰国の途中にカイロに立ち寄っていることと、自著「窯にまかせて」にその帰国の途にあった大正十三年にカイロの「コプト美術館」に立ち寄り乗り換えの船待ちのため半月カイロに滞在とあるのを改めてみつけたからだ。(この記事を書くにあたって色々な書籍や何人かの方々にお話を伺った。)英国でホームスパンの一人者のエセレ・メーレとも出会い帰国にあたって英国やフランス、イタリア等を通過しながら各地で工藝品を蒐集してカイロに辿り着いている。推測でしかないのだが、この時に「コプト織り」を手に入れた可能性が考えられる(コプト織りを購入したとは記述にない)。しかし、仮にこの時に入手したとしたらかなり早い時期で若いうちから染織工藝に対する深い知識があったのではないのかとかんがられる。「参考館」のリストにも入手時期、場所が記載がないという。繰り返しになるが、大正十三年(1924年)であればかなり早い時期に日本ではコレクションをしたことになる。他にも可能性としてはその後のヨーロッパへの渡航時にも考えられるかも知れない。いずれにしても濱田庄司の目の確かさには間違いないだろう。日本でも多くのコレクターがいるようだが(各コレクターの入手時期までは未調査)、少なくても戦前にはコプト織りを入手していたと考えることは間違いではないような気がする。その他「参考館」にあるコレクションはどれも大変貴重な文物。単なる個人のコレクションの域を出て人類の共通の宝でもある。建物自体も濱田庄司の美意識の表れでもあり「日本民藝館」にも劣らぬものがある。


さて本題に入るが、10年前の「東日本大震災」で「参考館」も大きな痛手を負った。大谷石造りの二号館、三号館も傷み、多くの所蔵品も壊れたそうである。主な建物は世界中からの寄付により修復出来たが、所蔵品の破損は未だできていないという。また、「上台」と呼ばれる茅葺屋根の大きな建物も経年劣化で茅が傷みシートで雨漏りをしのいでいたり、建物内部の畳(琉球表)も傷んでいる。「参考館」として公開している建物の傷みも増して来ているのが現状だ。筆者は「参考館」の草刈りなどのお手伝いをさせてもらっているが、全てにおいてスタッフの手では間に合わないとのこと。また、このコロナ禍の下「参考館」の経営自体も難しいそうである。建物や所蔵品などの維持管理や修復などにも多額の費用が必要だ。世界にも誇れるこの小さな美術館の危機をどうかこの駄文を見て下さった皆様「参考館」の窮状に手を貸して頂きたい。参考館に対する寄付はブログの記事の最後にリンクが貼ってありますのでどうぞご覧ください。

故濱田庄司     図版は参考館HPより

参考館入口 2021年3月撮影

二号館と三号館 大谷石の色が変わっているところが修復の跡。 酷い損傷だった。

当初は公開されていなかった中庭の長屋門現在は来客の要望にて「濱田庄司館」として濱田作品と関係資料が展示されている。上の写真は銅製の雨樋のロウ付けが外れ壊れているので銅線で応急修理をしたところ。下の写真は長屋門の大屋根の下の瓦が震災の時に外れたままになってしまっている。この下の屋根も大きくなってしまったクヌギの枯れ枝が直撃して何度も割れてしまっている。とりあえずの瓦を交換しているが、瓦の下の防水の黒紙がなくなってしまっている。

茅葺き屋根の傷みが激しい「上台」指定文化財。大原美術館の大原孫三郎氏のために建てるはずが大原氏が途中で亡くなったため移築を諦めたが後に文藝春秋の以来で陶器を納めた代金の代わりに文藝春秋社が購入移築したという。

指定文化財になっている濱田庄司の仕事場 土壁の漆喰がいたるところで剥落している。

参考文献 「窯にまかせて」「無尽蔵」「追悼濱田庄司展図録/小田急デパート」「手わざの思考 濱田庄司展図録/栃木県立美術館」「濱田庄司展図録/国立近代美術館」「手と目展図録/栃木県立美術館」「没後40年濱田庄司展-山本為三郎コレクションより/アサヒビール大山崎山荘美術館/巡回展」女子美術大学美術館 濱田庄司記念益子参考館


昭和40年代の上台からみた濱田庄司の仕事場。当時は現役で使われていた。屋根も茅葺き。

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